第21回道修町コラム 「職住一体から郊外住宅へ」

塩野義三郎邸

江戸時代の大坂町人は町家という形式の店舗兼住宅で、職住一体の生活を

していました。しかし近代化にともなう公害問題から、箕面有馬電気軌道

(現・阪急電鉄)が郊外住宅への移住を勧め、住宅開発を進めました。

塩野義製薬の創業者・塩野義三郎氏は大正8年(1919)、阪急創業者の小林

一三邸と同じ池田町建石(現・池田市)に転居し、職住分離しました。

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