2024年4月8日 / 最終更新日 : 2024年4月8日 The doshomachi club 道修町コラム 第23回道修町コラム 「シオノギの近代化」 薬種問屋から製薬企業へ 塩野義製薬は明治11年(1878)に道修町に創業した塩野義三郎商店に始まります。 大正8年(1919)に株式会社塩野義商店となり、近代的組織へと改革が行われました。 例えば、店員を「○○どん」と呼 […]
2024年3月11日 / 最終更新日 : 2024年3月13日 The doshomachi club 道修町コラム 第22回道修町コラム 「大阪製薬」 近代的な製薬メーカーの誕生 明治29年(1896)、日本初の製薬業の株式会社が少彦名神社付近に設立されました。 道修町の有力薬業家21人が創立した大阪製薬(現・住友ファーマ)です。 「完全無欠の製薬所」を掲げた創立趣意書 […]
2024年2月13日 / 最終更新日 : 2024年2月13日 The doshomachi club 道修町コラム 第21回道修町コラム 「職住一体から郊外住宅へ」 塩野義三郎邸 江戸時代の大坂町人は町家という形式の店舗兼住宅で、職住一体の生活を していました。しかし近代化にともなう公害問題から、箕面有馬電気軌道 (現・阪急電鉄)が郊外住宅への移住を勧め、住宅開発を進めました。 塩野 […]
2024年1月10日 / 最終更新日 : 2024年1月12日 The doshomachi club 道修町コラム 第20回道修町コラム 「藤沢友吉と宇陀松山」 飛鳥時代から続く薬草のまち かつて道修町にあった藤沢薬品工業の創業者・藤澤友吉の故郷・宇陀松山 (奈良県宇陀市)も、薬のまちとして知られています。 母方の実家(旧細川家)は「薬の館」として薬の看板等が展示されています。 […]
2023年12月18日 / 最終更新日 : 2023年12月19日 The doshomachi club 道修町コラム 第19回道修町コラム 「杏雨書屋」 医学・薬学の古典籍コレクション 100年前の関東大震災では東京の貴重な典籍が灰燼に帰しました。 そのことを大いに痛嘆し、日本・中国の本草医書の散逸を防ぐため、 武田薬品工業の五代武田長兵衞氏は私財を投じ、文庫「杏雨書屋」 […]
2023年11月10日 / 最終更新日 : 2023年11月13日 The doshomachi club 道修町コラム 第18回道修町コラム 「田邊五兵衛とサリチル酸」 日本酒の防腐剤、輸入 かつての日本酒造りには「火落ち菌」という大敵がおり、これに侵されると 腐造が蔵全体に及んで大きな損害を被ることがありました。その対策として サリチル酸の使用が奨励され、田邊五兵衛商店が明治15年(1 […]
2023年10月10日 / 最終更新日 : 2023年10月10日 The doshomachi club 道修町コラム 第17回道修町コラム 「赤玉ポートワイン」 鳥井信治郎の丁稚奉公 サントリーの創業者・鳥井信治郎は少年時代、道修町の小西屋で丁稚奉公 していました。そこで商売の他、洋酒の知識や製造を学び、味覚と嗅覚を 磨きました。独立後、明治40年(1907)に発売した混成ワイン […]
2023年9月8日 / 最終更新日 : 2023年9月8日 The doshomachi club 道修町コラム 第16回道修町コラム 「アサヒビール」 小西儀助商店の銘柄 銘柄「アサヒビール」は明治25年(1892)、大阪麦酒が吹田村醸造所 (現アサヒビール吹田工場)で製造を開始しました。しかし明治17年 (1884)から5年間、小西屋が「朝日麦酒」を製造・販売していま […]
2023年8月9日 / 最終更新日 : 2023年8月9日 The doshomachi club 道修町コラム 第15回道修町コラム 「小西儀助商店」 明治初頭の洋酒製造・販売 おなじみの黄色い容器の木工用ボンドを製造するコニシ株式会社は、 明治3年(1870)に薬種商「小西屋」として道修町に創業しました。 2代目小西儀助は“ハイカラ”な人物で、洋酒を輸入し、 混成ワイ […]
2023年7月10日 / 最終更新日 : 2023年7月10日 The doshomachi club 道修町コラム 第14回道修町コラム 「大阪薬舗学校」 大阪の薬学教育発祥の地 少彦名神社の社務所がある場所に明治19年(1886)、大阪薬舗学校が創立されました。 この学校は現在の大阪大学薬学部および大阪医科薬科大学(前大阪薬科大学)につながっています。 ちなみに昭和30年 […]