2024年9月12日 / 最終更新日 : 2024年9月12日 The doshomachi club 道修町コラム 第28回道修町コラム 「芝川ビルで発見された60年物」 戦後の歴史を語る一瓶 2007年、芝川ビル地下の金庫室から、戦後間もない頃のニッカウヰスキー特級が発見されました。 当時のニッカは苦境にあえいでおり、株主配当として現物支給したものと考えられています。 発見されたウイスキ […]
2024年8月8日 / 最終更新日 : 2024年8月8日 The doshomachi club 道修町コラム 第27回道修町コラム 「芝川ビルとニッカ」 竹鶴政孝と芝川家の絆 今から100年前、大正13年(1924)に山崎蒸溜所でジャパニーズ・ウイスキーを誕生させた竹鶴政孝は 昭和9年(1934)、大日本果汁(現・ニッカウヰスキー)を設立します。芝川又四郎が出資者の1人 […]
2024年7月10日 / 最終更新日 : 2024年7月10日 The doshomachi club 道修町コラム 第26回道修町コラム 「芝川ビル」 マヤ・インカ装飾のモダン建築 道修町通に面した新芝川ビルの北側、芝川ビルは昭和2年(1927)竣工の登録有形文化財です。 マヤ・インカ装飾のモダン建築として親しまれる洋風ビルは、芝川家6代目当主・芝川又四郎が 建設しまし […]
2024年6月10日 / 最終更新日 : 2024年6月10日 The doshomachi club 道修町コラム 第25回道修町コラム 「旧小西家住宅」 近代大阪の町家の集大成 安政3年(1856)に道修町に創業した小西屋(のち小西儀助商店。現・コニシ)は、 明治33年(1900)から道修町でも一際大きな町家の建設を始めます。 三階建の土蔵も備え、主屋は上質なつくりで、近 […]
2024年5月10日 / 最終更新日 : 2024年5月10日 The doshomachi club 道修町コラム 第24回道修町コラム 「くすりの道修町資料館」 ここへ来れば道修町がわかる 以前に紹介した道修町文書を保管・展示する「くすりの道修町資料館」は、 平成9年(1997)に少彦名神社の社務所ビル3階に開館しました。 “ここへ来れば道修町がわかる”のコンセプト通り、道修町の […]
2024年4月8日 / 最終更新日 : 2024年4月8日 The doshomachi club 道修町コラム 第23回道修町コラム 「シオノギの近代化」 薬種問屋から製薬企業へ 塩野義製薬は明治11年(1878)に道修町に創業した塩野義三郎商店に始まります。 大正8年(1919)に株式会社塩野義商店となり、近代的組織へと改革が行われました。 例えば、店員を「○○どん」と呼 […]
2024年3月11日 / 最終更新日 : 2024年3月13日 The doshomachi club 道修町コラム 第22回道修町コラム 「大阪製薬」 近代的な製薬メーカーの誕生 明治29年(1896)、日本初の製薬業の株式会社が少彦名神社付近に設立されました。 道修町の有力薬業家21人が創立した大阪製薬(現・住友ファーマ)です。 「完全無欠の製薬所」を掲げた創立趣意書 […]
2024年2月13日 / 最終更新日 : 2024年2月13日 The doshomachi club 道修町コラム 第21回道修町コラム 「職住一体から郊外住宅へ」 塩野義三郎邸 江戸時代の大坂町人は町家という形式の店舗兼住宅で、職住一体の生活を していました。しかし近代化にともなう公害問題から、箕面有馬電気軌道 (現・阪急電鉄)が郊外住宅への移住を勧め、住宅開発を進めました。 塩野 […]
2024年1月10日 / 最終更新日 : 2024年1月12日 The doshomachi club 道修町コラム 第20回道修町コラム 「藤沢友吉と宇陀松山」 飛鳥時代から続く薬草のまち かつて道修町にあった藤沢薬品工業の創業者・藤澤友吉の故郷・宇陀松山 (奈良県宇陀市)も、薬のまちとして知られています。 母方の実家(旧細川家)は「薬の館」として薬の看板等が展示されています。 […]
2023年12月18日 / 最終更新日 : 2023年12月19日 The doshomachi club 道修町コラム 第19回道修町コラム 「杏雨書屋」 医学・薬学の古典籍コレクション 100年前の関東大震災では東京の貴重な典籍が灰燼に帰しました。 そのことを大いに痛嘆し、日本・中国の本草医書の散逸を防ぐため、 武田薬品工業の五代武田長兵衞氏は私財を投じ、文庫「杏雨書屋」 […]